猫という同居生物

昨年の6月末から猫と住んでいる。迎えたときが推定3ヶ月弱で保険には4月1日生まれと登録している。つまり、今日は1歳の誕生日だ。

猫は本当におもしろい。というより、苗は本当におもしろい。苗というのはわたしが一緒に住んでいる猫の名前だ。茶トラのやや長毛で尻尾が短い女の猫。猫という種の習性としておもしろいところもたくさんある。

猫と暮らしたことがない人と話すと、「お休みの日は猫ちゃんと遊ぶのですか?」という質問をよくいただく。わたしの回答としては「特に遊びません。猫はいるだけ。」猫は生きているほとんどの時間を寝ているので、遊ぶとかそういうのはちょっとした時間の出来事で、休みだから遊ぶとかはない。本当にいるだけ。

苗は毎日12時間くらい寝るので、遊ぶも何もだいたい寝ている。これは猫と住んだことがないと驚かれることだ。

苗独自のおもしろいところで言うと、とにかく視聴率がほしい。見ていてほしいし、お風呂にもついてきたい。これも周りの人に言うと「かまってちゃんなんですね〜かわいい〜癒されますね〜」と言われることがあるけど、特にかまってほしいということではなく、ただ「見てて」「わたしが入ってはいけないところにずっといるのはなぜ!」が行動に出ているだけだと思う。「癒される」という感覚が一番よくわからなくて、猫に癒されるという感覚はない。元気でいてくれて嬉しいとか、呼んで来てくれたら心が通じた気持ちになるとか、おいしそうにごはんを食べてくれるとありがたいとか、そういうことで、何かがそれによって癒されることはない。そもそも癒しって言葉が嫌い。

猫はとにかくただ生きて、寝ることが得意。たまに何かを求めてくれて、それに応える。猫は相手が喜ぶから何かするということは一歳ないし、言うことを聞くこともない。本当に生きてるだけでおもしろくて楽しい命。

癒しという人間へのメリットで猫のことを表してくれるなと思うけど、別にあえてそれは伝えない。

明日は健康診断に行く。突然死んでしまってはとても困る。もう既に猫なしの暮らし。苗なしの暮らしはかなり厳しい。だから元気なときこそ病院に行く。できるだけ長くわたしにおもしろと発見を提供してほしい。